「上」に立つことが苦手です。
九州南部の一般家庭の、末っ子長男として産まれた私は、両親を差し置いて祖父に(祖父に)長男とはかくあるべき、というのを教えこまれて育ちました。言わずもがな九州特有の男尊女卑が発現しているところであり、私も立派な(決して立派では無い)大人なので、それらを受け流す姿勢はもうとっくに身についていますが……。
これについて詳細を語るとまた長くなる、やめよう。
というわけで、長男であることより末っ子である自我の方がでかいままこの歳まで育ってきました。祖父母からしたら頼りない長男であることは間違いないですが(従兄弟よりマシだという見方もあります)、人を頼るのはまあまあ得意です。こんなもん誇るなよ。とにかく甘えることが得意ではあります。人生にも甘えて生きてる。最悪。
末っ子であること、そして中高と「まとも」な先輩像では決してなり得なかったことから、最近心が疲れる事となっています。中学の時の後輩は、私のことを先輩だと思っていなかっただろうし(タメ口を聞くなどされていた)、高校の時の後輩はそもそも交流がなかった(私に部活内での基本的人権が保証されていなかったので)ため、ちゃんと先輩をやることができないままこの歳まで育ちました。
難しいところとして、私が23になるまで大学の学部生として居続けていることです。周りはみんな、社会人、大学院生、子育て……。様々な人生がある中で、私だけが永遠にモラトリアムを続けているような気分になります。まあ休学は精神疾患故なのですが。
現在のコミュニティでの後輩たちは皆いい子なので、やたらと歳だけ食ってるバケモノのような先輩である私をちゃんと「先輩」として接してくれるわけです。
いや嬉しいんだけども。俺自身が先輩業にあまりにも慣れてないため、後輩に色々教える時にだいぶ違和感を抱いてるのも事実です。これは後輩にしたり顔で語ってるだけじゃないか?偉そうに教えてるけどこれ合ってんのか?これ後輩に気を使わせてない?てか自分柄にも無いことしてんな……と心の声が止まりません。自分が自分でないような感じがしてくるのです。
どうしたらいいんでしょうね、そんな感じで所属合唱団(ユース)の代表を1年間務め切りましたが(務め切れて良かった)、結局「先輩をしている己」への嫌悪が無くなることはありませんでした。
これは後輩と接してるのが嫌というわけではありません。笑 後輩たちはみんな何も考えずに接してくれたら嬉しいな、とは思っています。これは自分の問題。
結局後輩に「見て見て!うんちのハンドサイン!w」ってやってるくらいが己の身の丈にあっているのかもしれないです。でもうんちのハンドサインを上手くできる先輩って形で覚えられるの悔しいな。
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1人でうんちのハンドサインを錬成したコラ画像(左手をコピー、反転させたものを貼った)です。本当にこんな先輩でいいのか???
とりあえず今から「後輩」をやってきます。先輩とお酒を飲みます。楽しみ。