酔いどれ

戯言

言葉は発芽する

帰省しています。

 

唐突な話ですが、私の故郷は鹿児島県です。西郷どんから綾小路きみまろまで輩出した我らの故郷ですが、この鹿児島県にはひとつ突出した特徴があります。

それが「訛り」です。

 

私は今年で24になるわけですが(年が明けるとこういうことになってしまうというのは辛い)、私の同級生達はみな一様にライトな鹿児島弁を喋ります。標準語に鹿児島弁のイントネーションと、語尾などに訛りをひとつまみ。隠し味程度の鹿児島弁ですが、他所の人からすればそれも十分な鹿児島弁のようでして……。親世代に比べて鹿児島弁で会話をすることの少なさや年数の短さ、SNS等によって標準語に触れる機会が多いことなどが原因なのでしょうか。

では私はどうでしょうか。

私の鹿児島弁は、はっきり言って濃い、いや鹿児島での言い回しを借りると「濃ゆい」です。知り合いの初老の合唱指揮をしている先生をして「ネイティブ」と言わせるほどナチュラルに喋ることもでき、同世代の人たちのそれとは比べ物にならないほど、私の操る言語は標準語から乖離しています。

もちろん、私とて標準語を喋れないわけではありません。大学では滅多に訛らないし、寧ろ初めて知り合った人に鹿児島出身であることを驚かれるほどの標準語ユーザーです。ただ、一旦訛りのスイッチが入ってしまうと、出てくる言葉が同世代のそれより流暢すぎるというわけです。

ちなみに脳内で思考を巡らせている時は標準語ですが、独り言は基本的に鹿児島弁です。怒っている時は鹿児島弁が出ますし、運転中の悪態は父譲りのコテコテの鹿児島弁です。というか、私の鹿児島弁は父の影響を色濃く受けています。父は鹿児島県南部の出身であり、比較的年齢も上のため訛りが強く、その訛りの影響をふんだんに受けてしまったのが私という訳です。大学をお休みしている期間、父親としか喋らない日というのが多く存在した結果、私の鹿児島弁が非常にどぎつくなっています。

 

このアイデンティティと呼んでも差し支えない域まで来た私の鹿児島弁ですが、ここに来て喪失の危機に晒されています。鹿児島弁を喋るのはいいが、地元民以外には通じない。博多弁や関西弁のように、「方言萌え」という概念は無い。5年ほど前にアルティメット鹿児島弁ニキの動画が話題になったことからも分かるように、鹿児島弁というのはコンテンツとしては笑い、エンターテインメントに近いものにあります。このような状況下で鹿児島弁を喋ることをやめてしまっている私は、標準語を喋る時と地元に帰って訛る時があり、それぞれなんか違うお面を被っているような、複雑な感情になっています。

ストレートにものをいいたい時は鹿児島弁に限るし、でも標準語で喋らないと確実に通じない相手がいる。怒っている時などにそのようにして聞き返されるのは悲しいし辛いし、でもどうしようもない……となり、鹿児島弁を喋ることを「悪いこと」というふうに捉えてしまう自分がいるのも辛いです。わたしは普通にストレートに喋りたいだけなのに。

 

どのようにしたらいいのかわからないまま、帰省先で祖父母や父と会話を交わしました。会話は弾む弾む。楽しい。この笑いに訛りを嘲笑するものが無いのが救いです。またくっでそんときまでいきっくれ、おいも広島でどげんかこげんかやっで。そういうことを話しました。言語化するといささか不自然なものになってしまうのも鹿児島弁の面白いところではあると思います。

みんなも話そう、鹿児島弁。みんなで笑おう、鹿児島弁で。