酔いどれ

戯言

薬に支配されるということ

眠剤が減りました。

眠くてたまらなかったからです。

 

もうかれこれ1年半以上、寝る前に眠剤を飲む生活が続いています。1年半前の私は、夜にすっと眠ることが出来なくなっていました。エンジンがずっと稼働している感じがあり、薬以外のどんな手段を試してみても功を奏さず、既に不安障害を発症していたためかかりつけ医に相談し、眠剤が出た……というのがきっかけです。

眠剤を飲み始める直前期はめちゃくちゃでした。明け方の5時まで眠れなかったり、眠らずにそのまま徹夜しても平気だったり。精神の歪みを受けて身体が既に悲鳴をあげはじめていたのだと思います。

 

正直、薬を飲み始めて以来眠れないということは基本的に無く、寧ろ寝すぎる日も多く。何度か眠剤の変更を経て今の眠剤に落ち着いています。

 

どの薬を飲んだかはうろ覚えですが、最初飲んだ薬は強制的に体力をシャットダウンされる薬でした。膝に力が入らない。起き上がれない。金縛りに近い感じだったと思います。寝返りを打とうとする度に行動不能になるため、医師に相談し薬を変えてもらいました。

 

ふたつめの薬は割と体に合ってたような気がします。これが比較的飲む期間が長く(1年近く飲んだんじゃないか)、ぐっすりと眠れかつさっぱりと起きられるようにもなっていました。しかし私のさらなる精神衛生の悪化を受け徐々に薬が効かなくなったためお役御免となりました。ストレスで激ヤセ期に入っていたため何やっても何飲んでも無駄だった感が否めないのですが。

ちなみにこの薬のためかは定かでは無いですが、幻覚も見ていました。カーテンの向こうに誰かがいる気配がする……と金縛りに逢いながらパニックになり、起きてから大号泣していたのもこの時期です。ちなみに新型コロナウイルスに罹った時期でもあったため、薬のせいか病気のせいかはさだかではありません。

 

みっつめの薬はすぐ降板させられました。エキストラか?ってくらいの影の薄さでした。

同時期に飲んでいた頓服薬がありました。こちらは不安に襲われてどうしようもなくなった時の助けが欲しいと言ったら処方された薬でしたが、飲んだ後の眠気が圧倒的に強く、出先で気を失うことが多かったため、こちらが眠剤となって現在私の睡眠をサポートしてくれています。

 

正直、薬で眠るのはすごく怖いです。これがなくなったら私は生きていけないと薄ら思っています。

今日(昨日)、前日の夜に薬を飲み忘れていたためか、はたまた低気圧のためか一日中体調が悪かったのですが、1日薬を欠いただけでこんなになってしまうのか、と己に幻滅しています。飲み忘れたのは不安障害の薬ですが、薬なんていつなん時飲み忘れるか、はたまた飲めなくなるか分かったものではありません。未曾有の災害が起こったら?急に親元に戻らないといけない場合は……?その時私は平静を保っていられるのでしょうか?

 

精神疾患は、パッと見ではわかりません。私自身が精神疾患を抱えている自分自身を受け入れられてないので、他人に喧伝することも、配慮を他人に強要することもしたくありません。ですが私はしっかりと身体に不調を抱えていて、それは薬無くしては無視できないものなんだなと今日一日を通して実感しています。

 

薬が無くても寝られる体を、愛していきましょう。一度壊れた心と体は、戻るのにかなりの時間と労力が掛かります。オマケに本当に戻るかは、今の私にはとてもじゃないが分かりません。戻って欲しいとは思いますが、そこにかけるエネルギーが私の中に存在する気がしません。

 

病んでいるから理屈っぽくなってしまった。己を見つめすぎるのも鬱っぽくなる第1歩ですね。鬱なんですが。

 

夜中なので寝ましょう。暖かくしてね。早く寝ないと漠然とした不安さんが来るよ!

おれたちの「春の一大事」

先に言っておきます。長いブログです。

 

4/14(日)、かれこれ8年推し続けているアイドル、ももいろクローバーZさんのライブに参戦してきました。

ライブタイトルは「ももクロ春の一大事2024 in亀岡 〜笑顔のチカラ つなげるオモイ〜」です。

 

その前に先ずアレコレと説明兼推し語りをば。

ももクロさんのライブって少々特殊で、まず滅多に(滅多に?)ツアーをやりません。その代わりライブはひとつの季節に1回、大きな会場でのライブをやります。これは13年くらい前から変わっていません。春は「春の一大事」、夏は「夏のバカ騒ぎ/桃神祭/ももクロマニア」(これらのタイトルのうちいずれかのライブが行われています)、冬は「ももいろクリスマス」と銘打ったライブが行われています(秋はファンクラブイベントが発生することが多い)。1度メンバーの卒業ライブが急遽1月に幕張で単発ライブが起こったこともありますが

 

勿論ツアーもやります。ツアーは結構コンセプトをガチガチにしたアルバムツアーだったりすることが多いです。

 

それぞれのライブの演出は年によって違いますが、共通点も多いです。夏は水をぶちまけて汗をかいて盛り上がってお祭り騒ぎ……水着席なんてのもあったそうです(ももクロ自身が水着のねーちゃんはどこだ!男の水着に興味なんてねーんだよ!と言ってのける始末)。冬はしっとり、クリスマスをみんなでお祝いします。濃い可愛い曲はクリスマスに集中しがち。(ここに伏線あります)

 

では春はどうなのか。元々「春の一大事」と銘打たれていたのにも理由があって、2014年位まで、ももクロさんに対して、運営の大人たちが試練を与える形で「一大事」というライブが行われてきました。2011年はメンバーの脱退を受けてそのラストコンサート、2012年は初めてのセンターステージでのライブだったり、2013年は初の生バンドでのライブ、そして2014年のライブは国立競技場でのライブでした。

ところが、近年は「一大事」要素が変わってきています。一大事はももクロさんに起こるのではなく、開催都市側に起こるのです。地方の運動公園等でライブを開催し、ももクロさんがオタクたちを引き連れることで経済効果を起こそう、地域をより知ってもらおう、地域の人にもももクロを知ってもらおうという側面のあるライブになりつつあります(チケットも地元枠とかお試し観覧とかある)。過去の開催都市は東近江や黒部、福山などです。

 

さてさて、そんなライブが京都府亀岡市で行われたので行ってきました。夜行バスで行き泊まらずに夜行バスで帰る旅。気分は遠足です。

 

23時に夜行バスに乗り、半分寝たような寝てないような体調で気付いたら大阪。この時既に喉が痛いなと思っており、夜行バスの乾燥はどうも苦手です。足浮腫むし、金があったら絶対乗ってない。金が無いから乗ってる。

 

快活に行きシャワーを浴びメイクを済ませ、京都駅へ。京都に1発で行かないのは駅の近くに快活が無いのと、バスもいい感じのやつが無かったからです。手間がかかるな〜と思いながらゴトゴトと揺られて京都駅へ向かいます。

 

今回のライブは2daysあり、私は2日目のみの参戦を決めていました(お金無かったし)。1週間前に参戦を決めた友人が規制退場に巻き込まれて終電を逃し、結局京都に滞在して朝早くに広島に戻ると言うのを聞きつけ、数十分ほどくっちゃべるためだけに急いで京都駅へ。友人はどすっぴんだしオタク服のまんまだしで可哀想でした。

f:id:dosam_dosam:20240415190614j:image

京都タワーとぼくたちの作る「うんちのハンドサイン」のコラボ

 

f:id:dosam_dosam:20240415190641j:image

京都駅とぼくたちの作る「うんちのハンドサイン」のコラボ

 

朝の8時とかから何やってるんだと思います。本当に。こういうのが楽しいんだけど。別に京都でなくても出来ることなんだけど。同じ大学の先輩後輩やし、お互い広島住みだし。月に1回は会ってるのに。

 

さてさて、京都です。

実は2回目の京都ですが、所謂京都らしい観光地を巡ったことが1回もありません。人混みが苦手なもので。今回もそうでした。自転車をレンタルして京都市内をスイスイ漕いで終わりました。鴨川の桜もギリ葉桜でしたが綺麗でした。写真撮ってなかったけど。ラブホテル見付けて(名前おもろw)と思い撮影しただけだったけど。京都でそんなことやるなよ。

 

ある程度探索したら朝ごはん(駅構内のうどん屋さん)(美味しかった)(旅の飯のバリエーションが無い)を食べ、いざ亀岡。途中、連番(一緒にライブを見る人の事)相手のオタクと合流し、チンタラ喋りながら会場へ。

経済効果を見込んで行われるライブなので金を落とすのがスジだとは思っているのですが、如何せん金がなく金がなく金がないため、スーパーで水を買うくらいしか出来ませんでした。ただ、会場でやってる出店でお昼を食べたので許して欲しい。

そう、出店があるんです。外周ステージと呼ばれる、開場前に後輩アイドルたちがライブをする会場があったり、写真撮影スポットがあったり、これまでの春の一大事の開催都市のグルメの出店があったり、今回の開催都市のグルメの出店があったり、フォトスポットがあったり。私はテーマパークのようだなと思って参加しました。ももいろクローバーZランド。

 

暑かったです。開場前の感想で1番出るのはこれ。しかも汗が出る暑さではなく、ジワジワと来る暑さ。汗がじんわり滲んできて、1番不愉快なタイプの暑さです。思わずフローズンドリンクを買ってしまいました。4つの味展開がオタク向けにちゃんとメンカラに沿わせていてよかった。私は百田夏菜子さん(メンカラ:赤)をかれこれ6年ほど推しているのですが、それとこれとは話が別なので自分が好きなブルーベリー味のドリンクを買いました。運営の意図にハマりたがらない厄介オタクすぎる。キモい。

 

ウダウダしていたり写真を撮ってみたり、トイレの列に並んでみたり(本当にこれが長かった)している内にすっかり開場時刻を過ぎ、慌てて会場へ。席運がかなり良く、だいぶ前のブロックのスタンディング席をゲット出来ていました。ステージを見た時に少しだけ西日に背を向ける形になっていたのもでかい。帽子も被っていたため、目の下に貼ったラインストーン(中顔面短縮効果!)の跡が日焼けで残ることも無さそうでした。助かった…。あと会場は風がスーッと通り抜けていて、会場前の所ほど熱気も籠らず、快適でした。

 

ライブは本当に最高でした。今回は数年前から(数年前から!?)インターネットを介して知り合った3人のオタク友達と連番したわけですが、やはり近くにコールを積極的に打ってくれる友人がいると非常にやりやすいなと思いました。彼らは私のように現場歴が浅い訳では無いので頼りがいもあるなァと。それと反対側の隣の御兄様方もコールを入れてくれるわ振りコピも完璧だわで凄いなと思いました。セットリストも良く、前日の1日目とはまた違った曲目で(うっかりネタバレを見かけた)、また懐かしの曲も多く、イントロが掛かった瞬間鳥肌がブワァァと立つ感覚を何度も覚えました。

 

基本的にももクロの春の曲ってパステルカラー系の曲調だと思っていて(伏線回収!)、決してビビッドな曲たちが揃い踏みする訳では無いのですが、それでも物凄いライブ映えする、野外にピッタリ合うのは凄いなと思います。作曲者編曲者、あとコレオグラファーにもチケ代払いたい。最近値上がりしてるけど。

 

良いライブでした。帰りに京都駅の近くの銭湯に入ったし、日本酒の好きな友人にお土産も買いました。京都らしいかと言われたら亀岡以外では特に京都らしいところに行っていませんが、亀岡はいいところでしたし満足度の高い遠征になりました。風邪引いたけど。

 

生きる活力を貰いました!ちょうど遠征前に嫌なことが起こって久々に体調を崩していたのですが、まだ私は死ねないなと思いました。ありがとう、ももいろクローバーZさん。ありがとう、ライブをやってくれた関係者の皆様。ありがとう、一緒に参加してくれたオタク友達。ありがとう、亀岡市の皆様方。

 

春の一大事、また来年も行きたいですね。誰か一緒に行こうよ。 曲めちゃくちゃ布教するから。笑

なぜか優しい春なのだから

すっかり暖かくなりましたね。数週間前に雪が降っていたのがウソのよう。

 

近所の公園の桜が満開になる時期です。もう同じ大学に通って5年目になる訳ですから、大体のイベントは把握しているわけです。それでは、と思い決して多くない友人の1人を誘いお散歩を兼ねて花見に繰り出しました。雨だったけど。

 

近所の公園に花見をしに来るのは3回目です。今回がいちばんちゃんと見てた気がする。

1回目は2年前、当時所属していたサークルの先輩の提案により、夜に酒の缶にストローをぶっ刺し行われました。なんか愚痴を吐いた記憶があります。

2回目は昨年、寒い寒いと言いながらシートを持ち寄りスーパーで惣菜を買い、これもまた夜に行われました。寒すぎて記憶があんまりないです。

どちらも桜などほぼ見てません。夜だし、花より酒です。大学生すぎるって。多分大人になってからもこうだけど。

 

他愛のない会話を繰り広げながら、広い公園を歩きました。この花はなんだとか、この木はなんだとか。友人は優しい人なので一緒にいて貶されることも無く、私が躁になることもなく、終始落ち着いたペースでいられるので居心地がいいです。最高。本人が私のTwitterなど知らないという前提でここで惚気けてやろうと思います。同性だけど。いつも感謝していますありがとう。

 

桜も綺麗でした。すげえ綺麗。今が真っ盛りなんだと思います。地面に落ちた花びらが雨に濡れていたのも含めて全てが綺麗でした。

 

いやはや楽しい時間でした。季節のイベントをこうやって楽しめる余裕があるっていいな、と思いました。道中の話題の後半は日本酒のことでしたが。結局酒かよ…。

部屋の片付けを頑張り、くたばる

タイトルの通りです。

 

本当に鬱がすぎていて、いやただでさえ鬱の気配があったまま2023年の秋までを走り抜いてきたのですが、2023年の11月からはもっと深刻な鬱状態に陥っていました。基本用事がない時はずっと布団にくるまって震えてました。スマホが。

 

ひとボケはさておき、こうなってくると心配なのは部屋の掃除です。ギリギリの衛生を保ちつつ、最低限の部屋の掃除しかしませんでした。もう埃まみれ。ギリギリの衛生は保たれているのでゴキブリはまだ見ていません。元気だった頃の私がブラックキャップを撒いているのもまた効果的だったのでしょうか。床が見えないという程では無いですし、洗濯もちゃんとしているため部屋が臭いわけでもなく。ただ収納を怠りものが溢れかえってる部屋でした。私はこういう人間なんだなあと思っていました。

 

昨日、ついに覚悟を決めました。

俺は掃除をしてやる。なんなら要らんもの全部捨てるまである。やるぞ。

 

想定外だったのは大量のダンボールでした。自宅アパートのゴミステーションにダンボールを捨てられないため、近所のスーパーの古紙回収リサイクルコーナーまで持っていかなければなりません。鬱の人にそんな気力は当然あるわけが無いので、今の今まで溜め込みまくってたわけです。主にペットボトルの水を購入した際に出てくるダンボールとか、実家からのダンボールとか。焼酎の入っていたダンボールとかもありました。そんなもんあるな。

 

友人(留年している同級生)(最高!)の幾度目かの助けを借り、なんとか夜逃げの量のダンボールを処し、部屋に溢れかえる細々としたゴミを捨て、部屋が片付きました。めでたしめでたし。

 

 

 

とは、なりませんでした。体調が悪い。熱は無い。喉が痛いのは疲労から来る扁桃炎のサインであり、これは確実にこの掃除において無理をしすぎたサインです。翌朝である今もまだ引きずっています。んー……

 

結局、眠剤を減らして今生きており、日中の眠気みたいなものは去ったのですが、より稼働できる時間が増えても体力や精神力がその稼働時間に対して減少しているのでこうなるのかなあと。

 

むずかしいですね。少しずつ向き合って、明るく陽気に生きたいです。今大雨ですが。

人の上に俺を作らず、人の下に俺が作られている

「上」に立つことが苦手です。

 

九州南部の一般家庭の、末っ子長男として産まれた私は、両親を差し置いて祖父に(祖父に)長男とはかくあるべき、というのを教えこまれて育ちました。言わずもがな九州特有の男尊女卑が発現しているところであり、私も立派な(決して立派では無い)大人なので、それらを受け流す姿勢はもうとっくに身についていますが……。

 

これについて詳細を語るとまた長くなる、やめよう。

 

というわけで、長男であることより末っ子である自我の方がでかいままこの歳まで育ってきました。祖父母からしたら頼りない長男であることは間違いないですが(従兄弟よりマシだという見方もあります)、人を頼るのはまあまあ得意です。こんなもん誇るなよ。とにかく甘えることが得意ではあります。人生にも甘えて生きてる。最悪。

 

末っ子であること、そして中高と「まとも」な先輩像では決してなり得なかったことから、最近心が疲れる事となっています。中学の時の後輩は、私のことを先輩だと思っていなかっただろうし(タメ口を聞くなどされていた)、高校の時の後輩はそもそも交流がなかった(私に部活内での基本的人権が保証されていなかったので)ため、ちゃんと先輩をやることができないままこの歳まで育ちました。

 

難しいところとして、私が23になるまで大学の学部生として居続けていることです。周りはみんな、社会人、大学院生、子育て……。様々な人生がある中で、私だけが永遠にモラトリアムを続けているような気分になります。まあ休学は精神疾患故なのですが。

 

現在のコミュニティでの後輩たちは皆いい子なので、やたらと歳だけ食ってるバケモノのような先輩である私をちゃんと「先輩」として接してくれるわけです。

 

いや嬉しいんだけども。俺自身が先輩業にあまりにも慣れてないため、後輩に色々教える時にだいぶ違和感を抱いてるのも事実です。これは後輩にしたり顔で語ってるだけじゃないか?偉そうに教えてるけどこれ合ってんのか?これ後輩に気を使わせてない?てか自分柄にも無いことしてんな……と心の声が止まりません。自分が自分でないような感じがしてくるのです。

 

どうしたらいいんでしょうね、そんな感じで所属合唱団(ユース)の代表を1年間務め切りましたが(務め切れて良かった)、結局「先輩をしている己」への嫌悪が無くなることはありませんでした。

 

これは後輩と接してるのが嫌というわけではありません。笑 後輩たちはみんな何も考えずに接してくれたら嬉しいな、とは思っています。これは自分の問題。

 

結局後輩に「見て見て!うんちのハンドサイン!w」ってやってるくらいが己の身の丈にあっているのかもしれないです。でもうんちのハンドサインを上手くできる先輩って形で覚えられるの悔しいな。

 

f:id:dosam_dosam:20240327192803p:image

 

1人でうんちのハンドサインを錬成したコラ画像(左手をコピー、反転させたものを貼った)です。本当にこんな先輩でいいのか???

 

とりあえず今から「後輩」をやってきます。先輩とお酒を飲みます。楽しみ。

大学4年間締め括り式

総括です。大学4年間の。

 

決して他人には誇れない4年間であったわけですが、ひとつの区切りとして大学の卒業式に参加してきました(入れるんや)。

在校生は周辺を彷徨くなというお達しがあったのですが、大学4年生ということで大目に見てください。まあ3年生以下も居たりしましたが私は面の皮が厚いのでそういう層に向けて非難と遺憾の意を表明します。ホンマにカス。

 

卒業式はマブ女☆と参戦してきました。マブ女との思いは既に過去に述べた通りですが、奴はストレート卒業で私は単純な精神疾患のために休学、卒業が更に遠いものになる中での賑やかし参戦です。面構えが違う。

エモのバケモン - 酔いどれ

 

 

生憎の雨だったため晴れ姿が映えない結果とはなってしまいましたが、それでも会場周辺は賑やかしく、雰囲気も晴々としていました。卒論出した人間にしか出せない雰囲気とかってあると思います。

 

学長や代表者の挨拶にすげーなどと思いつつ式を終え今度は本番、プリクラ撮影の儀です。俺たちにとってはこれが本番。この日のために濃いメイクをし、カラコンを入れ、前日に温泉に行き、キレートレモン(MUKUMI)を飲む入念さがありました。鼻の毛穴汚れのために毛穴パックをする覚悟もありました(剥がすやつ)。幸いにもこれらの入念なケアにより毛穴パックによる毛穴ガン開きは防がれましたが……。

 

プリクラを撮影し(本当に最低な落書きをしては消し、という遊びにも興じた)、大学につき、各々の行動に移ります。私は学部の、コースでの学位授与式の在校生挨拶を任されていたので(本当に私でいいのか色んな人に聞いた)(息をするようにボケを言うので向いてない)、そちらをしたため、最後に抵抗するように一瞬だけボケを入れるというカスの所業をしていました。真面目な文章って難しい!!

 

学位授与式はつつがなく行われ、私も泣きそうになって早口で捲し立てた以外は順調に在校生送辞を行いました。最後の一瞬のボケも早口で行われましたが准教授は笑っていたそうです。やったぜ。

 

送辞の時、色々回想してしまうと本当に涙腺が壊れるな、と思いました。歌を歌う時もそうですが余計なことを考えてしまい、あの時こうだったな、などと勝手なエモの暴走が始まるわけです。そりゃ泣くよアンタ。何も考えてなければ泣かないのですが……。

 

かくして同期(笑)たちは卒業していきました。会えた友人たちもいる中で、例えば辞めたサークルと同期(笑)たちに会えなかったのは少々寂しかったし、今回の式で会えなかった友人は沢山居ます。

合唱の世界では「歌い続けていればまたいつか巡り会える」というような言葉がありますが、人生においてもそうだと思っています。生きていればまたいつかどこかで会えるでしょう。特にインターネットの発達した現代では、偶然にも計画的にも会うことが出来ます。どうかいつかまた会えることを信じて、私は残り2年間の大学生活の精算と、生命活動に必死になってやろうと思います。

 

頑張るって言うとしんどくなるのは自分なので、無理のないようにやっていきます。やるぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そういえば。

11月頃に体重が5kg減少して明らかに痩せた時期があった私ですが、その時期に同コースの院生さんに痩せたことを見抜かれ(今日語ったところには「骸骨のようだった」)、心配をお掛けしました。

今日は茶話会ついでにその事に感謝と、体重は元に戻ったどころか最近は太りつつあるという旨を告げてきました。

院生さんは「そうは見えないですね」と仰ったので、私もまあスーツも細身やしな……と思いつつ咄嗟に「いやでもまあ、脱いだら凄いので」と口走ってしまいました。

心の底から反省しています。着痩せでいいだろ。

エモのバケモン

さて、エモのバケモンになりましたので思いの丈をブログに綴っていこうと思います。

ここでいうエモのバケモンとは、私の中で感傷とか言うやつが走りに走ってしまって、柄にもないことを口走ってしまうなどをしてしまい、「エモ」を前面に押し出してしまう生き物になり果てることです。

本当にそういうキャラでは無いのでやめたいのですが、たまにクソデカ感情が暴走してエモのバケモンになることがあるわけです。先日のブログも好例ですね。

卒業旅行(勝手) - 酔いどれ

それが「好い」のかはまた別の話ですが……

 

本題に入りましょう。

 

私には大学における同期の定義が複数あります。大学に入ったのは令和2年度ですが、サークル活動を開始したのは令和3年度で、かつ諸事情につきサークルでは令和3年度入学生ヅラをして活動をしており、学部での学年とサークルでの学年が異なっています。更に途中で学部を移動した関係で学部での学年も2パターンの選択があり、おまけに大学入学前に1年浪人をしており、年齢だけで見ると同期の人間が複数いて、明らかに先輩に対してタメ口を聞く事象もあります(馴れ馴れしいぞ)。

詳細を書くと本当に面倒です。割愛します。

 

2つ目の学部で仲良くなったマブ女☆が居ます。死語みたいな単語で奴を形容したのは単純な照れ隠しです。男女の友情が成立する論を私が唱えているのは奴がいるからです。妹みたいなやつでは決してなく(こんなに憎たらしい妹がいたらたまったもんじゃないだろ)、姉のように頼り甲斐があるわけでもないので(大悪口)、友達だよなあと思うわけです。互いに病んでる時を除き口を開けば軽口しか出てこないし、研究室で2人で後輩を前に夫婦漫才並のテンポの軽口の応酬を繰り広げたこともあります。

あんまりけちょんけちょんに書いてるようにも見えますがそれくらい信頼しています。いやほんとに。

ちなみに仲良くなったきっかけは𝑻𝒘𝒊𝒕𝒕𝒆𝒓(今で言う𝕏)(このボケ本当におもんないから二度と世の中に出回って欲しくない)です。令和2年度に大学に入った人間は往々にしてTwitterにしがみつく悪癖がありますが(コロナ禍のせい)、我々もまたTwitterにしがみついていて、それを経由して仲良くなりました。

 

そんな人間が、マブの人間が、学科で俺と1、2を争う可愛さの人間が(これテンプレ)この度卒業されます。おめでとうございます。

 

いや、さびし〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜いやマジで寂しい、ほんとに寂しい、本人目の前にして絶対言わない(言ってたまるか)けどめちゃくちゃ寂しい!!!!!ぐえ

 

いやほんとに寂しい。うう……

 

飯に行ったり深夜のキモ時間帯にドンキに行ったり、恋人と揉めたとか言って日本酒(鬼ころし)キメながらココスで愚痴吐いたり、あと何したっけ……集中講義の休み時間にバッタが居たとかでやんややんや騒いだり(俺だけ)、院生の消息が不明になったとかで孤独死を共に案じたり、私が酒で潰れた朝に車で輸送してもらっていたり、基本的にしょーも無い思い出とクソみたいな下ネタしかないですが、それでも楽しい日々だったなと思うわけです。ちなみに下ネタの内容については詳細はここには到底載せられないものですが、両者飛ばしすぎて一度後輩にドン引きされました。引くなよおい。

 

昨日はそんなマブ女との西条で共に食う最後の飯だったわけです。行先は前々から行こう行こうと言いつつ流れがちだった挙句最近は名前すら上がらなかった炭火焼肉・牛炭亭です。話は逸れますが牛炭亭はアイスもドリンクバーも完備で、肉はとても美味しく炭火で焼くため倍美味しく、ご飯も食べ放題だし豚汁は美味しいし、何よりも店長がスーパーマラドーナの田中に似ています。あとWiFiとかある。ステマとかじゃなく私は純粋な客としての感想ですのでご容赦ください。

 

話が完全に逸れましたが焼肉です。焼肉を食べようとするも何故か奴が「鶏ももしか食えない」などと宣ったため完全にフードファイトの様相を呈していました。私の方が食べてましたが奴は奴で食べすぎて苦しんでいました。鶏肉しか大切にしない姿勢に牛や豚からのバチが当たったのでしょうああ哀れ。

 

焼肉の後はよせばいいのに最後だしドンキ行くか〜などと言いながら市内まで車をかっとばしドンキでコスメを見漁りました。そして買わない。買え。ここでも話はそれますが広島市内のドンキは客層が最悪のため、テスターはボロボロだったりすり潰されていたり変色していたり、最悪の場合無いというケースもあります。コスメ屋さんとしての役割を全うして欲しい。あとデイジークの類が安くなってましたが気になってたアイシャドウパレットは品切れだったため見送りました。なんの話でしょうか。まあずっとこう言う会話しか飛んでないわけで、それが本当に楽しかったということをここに吐露したいだけなんです。これか下ネタね、もう最悪です。

 

その後は黄金山などに行きました。奴が広島生活悪くなかったな〜などと言いながら夜景を見ていたため一時しんみりしてしまいましたが、ドライアイのために涙が出てきたと供述したためムードも台無しです。そこは黙って泣いときゃいいのに……

 

帰りもずっと歌い散らかし、カスみたいにうろ覚えの歌詞を捏ねくり回しつつ、本当に誰にも聞かせられないような下ネタと生モノの二次創作に勤しみました。もうほんとにね、いちばん良くないって分かってるのにいいたくなるんです。この世からアクの強いお笑いが消えない理由がわかる気もします。

 

私のキャンパスライフを確実に楽しくしてくれた要因の一つとして、マブ女の存在があります。普段は苗字でしか呼ばないけど匿名性上げようとしたらこういう呼称になりました。せめてTwitterユーザー名で呼んでやろうかな。酔った時デカい声でユーザー名で呼んだことあるけど。メロちゃん。メロ。うーんしっくり来ない……

 

来月から(ほんとに来月から?)メロとほぼ遊べない生活が始まります。うわ寂し!深夜にできる思いつきバカドライブの幅が狭まってて寂しい、俺は誰と学食に行けば!?と思うけど別に最近学食一緒に行ってないんだったわ……

寂しさを引きずってるのも柄じゃない気がしてきました。ここら辺で終わりましょう。メロちゃんと私が遊んだ様子を見られるのは私のTwitterだけ!春以降もそっちに遊びに行くから遊んでくれよなマブ女!!!