酔いどれ

戯言 常体だったり敬体だったり

電車に乗りながら

・他人にしてもらったことは良くも悪くも忘れないし、だから自分が困った時こうして欲しかったな、と思うことを、自分の調子を顧みずに他人に施してしまう。過去の自分を救いたいだけの自慰行為にほかならない。老害の始まりだと思う。

 

・感情を他人に押し付ける、感情の誘発を強いるのは違うよななどと考えている。人から感謝されたいといういっぱしの欲求はあるが、これを他人に押し付けてはならない。感謝が来ないということは、相手が余程の朴念仁か、自分に何かしらの落ち度があるということだ。大抵は後者だ。

 

・最近あったことを振り返って。アルバイト先で、絶対に10は年上であろう人に偉そうに説諭を垂れてしまった。私が狭量なのもいけないと思うが、それにしても職責を果たして欲しくて、それは貴方の仕事です、お金を貰って仕事をしているのだから責任があります、それくらい成し遂げてください、などと偉そうにこいてしまった。アルバイトなのに。最終学歴は高卒、いや予備校卒、自動車学校卒か。相手を非難するということに慣れていないため、説教を終え1人になった途端偏頭痛がしてきた。いったい俺は何様なんだ。どうすればいいのかわからない。相手方の非を如何に伝えたらいいのか、俺はどうしたらいいのかわからない。

 

・先輩方とご飯に行く機会があった。愚痴、情報共有、熱い語り、冗談。これらを一気にできる相手がいることに感謝をしなければならない。つねづね俺はひとに感謝を伝えるということが不足している。照れ隠しがひどく、思春期の頃はそれでだいぶ損をしてきた。照れなければいい。まっすぐに感謝を伝えればいい。それができない。難しいね。

 

・ずっと神経が張りつめている気がして、全ての予定をキャンセルしてのんびりする日を作ってみた。多分効果はあった。海を見に行って、温泉に入って、他愛もない話をして、フルーツ牛乳を飲んで。瀬戸内海は綺麗だったし、浜は綺麗ではなかったけど、冷えた海風に当たるのはとても気持ちが良かった。

・ちなみに俺はサウナに入れないので、温泉に行くたびに少し損をしている気がしてならない。最近のサウナブームに託けてどこの温泉施設にも大抵サウナがついているのでより一層。サウナに入れないというか、堪え性がなく五分程度でギブアップしてしまうし、水風呂に入るポテンシャルは無い。怖いし。冷たい水。早い話が臆病。小学生の頃の方が入れてたな。

 

・雑談。

・一人称が定まっていない。これは幼少期からずっとそうで、たとえば幼稚園の時は自分の呼称をそのまま一人称にしていた。でもそれがおかしい、と気付く時が来るようで、そこから一人称が安定するまでに5年近くかかった。「僕」を使うことに何故か気恥しさがあり、それに慣れるまでに5年かかったと言うべきか。

・ちなみに今は「俺」「わたし」「ぼく」をその場のノリで使い分けている。「ぼく」が咄嗟に出た時先輩に一人称それだっけ!?と驚かれたのを思い出す。一人称バラバラなんですよ……。過去には「ワシ」「自分」「こっち」などの迷走を重ねた時期もある。中学二年の激イタ時期に変な一人称を使ってなくて良かった。

・更にちなむと(ちなむな)、鹿児島に帰った時だけの一人称「おい」なども存在する。アルティメット鹿児島弁ニキになる日は案外近いのかもしれない。

 

・音楽の「歓び」を感じたい。どんなに鬱屈とした曲でも、歌うことを楽しめないとどうもいけない。私などは歌うことを楽しみすぎて、和音が決まるとニヤニヤしてしまう。口角が上がり音が明るくなってしまい、曲によっては最悪の効果をもたらすので本当にやめたい。

 

・明日からもゆるゆると頑張るぞ〜〜〜とりあえず病気で落ちた筋肉を取り戻すのと、巨乳になるのと。24歳の目標は巨乳になることです。なんなんその目標。