小学生の頃、日記を書く宿題があった。
私は脳のアウトプットに比較して手のスピードが遅く(そら小学生なのでね)、文章を書くのは好きだが文字を書くのが遅いためトータルで見たら文章を書くこと自体は苦痛であるという結論に至った、そんなクソマセガキだった。
日記の宿題は小学校6年間出続けていた。私は課外活動として週四でブラスバンドに参加していたし、両親か祖父母か2人の姉の何れかが構っていてくれたため、ネタに困ったことは無い。笑いどころもボケもオチもないような日記であったとは思うが。
1度だけ、嘘の日記を書いたことがある。本当に大したことの無い日で、書くことがないなと思ってでっち上げた。宿題は母に点検されたが、母も違和感は覚えたと思う。スルーされたが。日記はその日だけやたらと内容もリアリティも薄れたが、なんとか受理された。確かプレゼントを上げたとかそんな話をでっち上げた気がする。
胸を張って言える。今の私なら、堂々と中身の詰まったウソ日記を拵えることができる。なんなら日記でなくても、エピソードトークでも、ウソの塊を拵えることが出来るのではないか。もう24年間も生きているのだ。存在し得ない話を捏造するくらいできてこそ、24歳の大人なのではないだろうか。これは私の、あの時リアリティのある文章を書けなかった私の、リベンジ嘘日記だ。
とにかくやってみよう。百聞は一見にしかずだ。
【日記】
・ベランダに出てタバコを吸った。禁煙物件であるが、ベランダで吸うのは契約書類において限りなくグレーである、と勝手に判断したためである。タバコは弱すぎず強すぎず、これといった特徴も、おれ自身の拘りも無いようなやつを吸っている。タバコを吸う時、おれは煙がスっと流れていくのが好きだ。煙が出たての頃は、私はこの世の異端児でござい、といった顔をして、背景の景色からすると大いに目立つその存在をアピールしてくるが、数秒経つと周りの空気に溶け込んですっと居なくなる。そんな煙の存在に、自己主張した瞬間だけは目立ちあとは周囲の存在にかき消されていく脆弱な己の存在を重ねている。
ベランダから消えゆく煙を目で追いながら、また新しい煙を吐いていく。吐いては消え、吐いては消えを繰り返す煙に、諸行無常を感じざるを得ない。先程まであんなに存在を主張していたのに。
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結構いい感じじゃないか。何となく己に酔っているキモ文体が錬成され、これはこれで良いのではないか。あと3年後くらいにこれを発掘したら私はこのブログを消去すると思う。共感性羞恥マシマシ。ちなみにタバコは3回ほどしか吸ったことがありません。
この日記いいな、続けてみよう。
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そうこうしていたらご近所さんからクレームが来た。禁煙物件のくせにベランダでタバコを吸うなボケ、ということらしい。どうやらこの、夕方から雨が降るような天気の中で堂々と布団を干しているらしく、それにおれの煙の匂いが移っては困る、という主張らしい。なるほどもっともだ。おれはタバコを足で揉み消した。音を立てて煙が消え、後にはタバコの吸殻のみが残る。先程まで存在していた煙なんて、もうとっくにどこかへ消えている。
おれは臆病なもので、ベランダにタバコの吸殻を放置することなんてできない。燃え上がったらことだ。コップに水をついでベランダに持ち込み、吸殻のうえから水をかけて、残った水はおれが丁寧に飲み干した。澄んだ空からの日差しが痛かった。もう夏の終わりを感じる、そんな日だった。
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煙の表現を「良い」と思う己の心に対して、イヤらしさが出てその表現をゴリ押ししている日記になっている。どういう心情表現なんだよ。
どことなく筒井康隆みのある文章だよな、と己の文章を見ながら思う。後半に至っては意識して寄せている。
リベンジ嘘日記をするといいつつ、私の創作物を披露しただけになっているな。
本当の日記を書くと、病院に行き扁桃炎の検査をされ薬を処方され皆保険制度に大感謝し、ドラッグストアに行って歯磨きとメイクキープミストと洗顔フォームを買ったというのが今日やったことではある。中身うっす〜〜……。
眠いから寝る。なんだったんだよ今日という日は。