夜中ゲボ病みはてなブロガー
所謂毒親育ち、って程じゃないんですけど、まああまり育ってきた環境が良くないみたいで。
人が勝手にキレてる声には何も思わないんですけどその怒声が明らかに誰かに向けられている時、悪意をもって他人にぶつけている時はどうも呼吸が浅くなるし、人が至近距離で手を挙げると反射的に頭を被ってしまうし。
親からはだいぶ厳しく育てられていて、それは良くも悪くも私の人生観に影響を与えているんですが、今回はそのデメリットの話。
言っとくけど私は親に感謝してるし、たくさん旅行に連れてってくれたこと、幼少期に自分の世界を広げさせてくれたことは感謝しています。その前提で。
私の両親は、というか母親がかなり厳しい人で。
父親は厳しいというか、真面目というか、マメというか。ゴミの分別とかちゃんとするタイプ。部屋の整理整頓とかちゃんとするタイプ。もうこの時点で私は父親と似ていない。細々したどうでもいい説教以外は放任主義、不干渉の親。顔は似ている。年々似てきている。嫌すぎる。
父親の知り合いが私の職場の同僚になった時に苗字と顔で即バレた。お父さん〇〇社にいた?って聞かれた。苗字一緒だし顔似てるし……と言われ、濃すぎる遺伝子を恨んだ。
閑話休題。
一方で母親は子を支配下に置くタイプの、今どきのインターネットではかなり批判的な文脈に置かれるタイプの親だった。普通に体罰あったし(叩かれていた)。大声で叱られることもあった。私は母に叱られることが何よりも怖かったし、というか、大人に叱られることも怖かった。そのくせ口数が多く余計なことを言うタイプで叱られやすく、いつも大人の顔色を窺い生きていた。
だから明らかに「悪いこと」をできなかった。同級生と与して権威に刃向かうことはできなかったので、精々出さなくてもいい三行日記のようなスケジュール帳を提出しない、などと言った小さなレジスタンスしかできなかった。親や先生が絶対権力として君臨していた高校生の私の生活は非常に陰鬱としたもので、その中で私は常に実直であろうとした。親が、先生が、そう求めていたから。このような生き方だったので、高校生活はあまりいい思い出がない。
高校を卒業し、浪人を経て、大学に入った。
母親が、死んだ。コロナ禍に突入した。先生などというものはもういない。自分一人で部屋に籠る時間が増え、必然的に強制的に自己と向き合い続けた。
病んだ。私は真面目で、その真面目さが故に友人を失うことがあることに気付いた。今まで自分らしく生きようとしていたことはなく、結局親の眼鏡にかなうように生きていたのだと気付かされた。死後気付かされても恨もうにも恨めず、親への感謝の感情も依然として存在し、やり場の無い感情は巡り巡って己の心を刺した。
そこから2年、3年、いや、4年は掛かったかもしれない。自分が自分らしく、無理なく生きるペースを探した。時にはもっと病み、自分の逃げ癖を知った。悪意をもって他人に苛烈な言葉をぶつけるのが難しいことを知った。声が大きいくせに声を荒らげると自分の心にダメージが行くことも、傷付く言葉を言われた時言い返せず曖昧に微笑んで受け流そうとしてしまうことも、こうする!と決めたら極端なほど思い切りがいいことも、何もかもこの数年で分かった。
真っ直ぐになろうとした自分を、意図して歪めた。より生きてて苦しくない自分にするために、ちょっと屈折していても、変であろうとも、変に真面目ぶってちゃんとしようとして自分の首を締めるよりは、そっちの方が何倍も生きやすい。
先週、26歳になった。実感は全くない。世の中の26は社会人一年目では大抵ないだろうし、もっと落ち着きがあると思う。ただ、自分らしく、自分が苦しくなく生きて行ければいいかなと思う。例え年齢の割にガキだよねなどと言われようとも、それが私という人間であることなのかもしれない。棺桶では胸張って死んでやるから見てろよお前ら!